桂林灕江のほとりにある「古石城」(一)
2011年11月29日中国観光ガイド
明、清時代に建てられた「古石城」は漓江下り途中の葡萄鎮の楊梅嶺にあります。周囲は約10キロであり、東西南北四つの門があります。住宅、道、野菜畑、果樹園、牛小屋、豚小屋などはすべて石で建てられています。連綿とした山並みに囲まれ、外の世界との連絡も絶ち、まるで桃源郷のような所で村人たちが男耕女織ののんびりした生活を過ごしてきました。交通の不便なことで、今になっても、古石城のことは世の中によく知られていません。古石城は一体いつ、何のために建てられたのか、石刻も史料の記載もなく、詳しくはよく分からなくなりました。村の老人の話によると、二、三百年の歴史はあったそうです。現在、村の中にまだ点将台(昔、軍隊の将軍が任務を下達する台)と中軍寨(兵営)などの遺跡が残っていることから、たぶんむかしここは軍隊の駐屯する所だと判断できます。最近、国の「村村通」の政策のおかげで、「古石城」までの道路が開通され、「古石城」の辺に徒歩愛好者の姿が現れました。
桂林市から、陽朔に向かって、321国道を一時間ぐらい走って、葡萄鎮に着きました。ここから左に曲がって、田舎の狭いセメントの道に乗り、20分ぐらい走った後、「古石城」のある山の麓にバスが止まりました。
ここの石は薄いのも厚いのもあります。薄いのは煉瓦として使い,厚いのはベースに使います。粘着剤を使わずに、二三百年経っても、家は依然として丈夫です。
「古石城」は東西南北四つのがあります。私たちは東門から「古石城」を出ました。四つの門を全部歩き回るには三、四時間もかかります。
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コメント(2)
作者:( 「ふれあい中国」)
たのしそうな行楽ですねー。桂林市内にこんな古鎮が残っていることを知りませんでした。養蜂家の巣箱の写真興味ありありです。石城の街並みはどのようにしてできたのか?どのような民族、権力者が、どの時代に築城したのか?歩いて石垣の岩肌を子細に観察したいです。石門に囲まれた中に点在する住民と普通語で語りたいですね。食文化、共同体の運営、扶助生活、ビデオカメラのバッテリー3個は必要ですね(3時間録画)若い青年は、都市部に出稼ぎに行き、村には老人と子供たちだけのこり営農生活している、変容が激しい広西農村部をじっくり観察いたしませう。雁山の学生村への訪問の際、寄り道してみます。ばたばたオート三輪車で。帰りには地鶏と新鮮な野菜を学生にお土産としてばたばたオート三輪車に満載しましょう。これは学生に大うけに違いない。300元も買い込めば!
いつもブログを読んでいただいて、ありがとがざいます。今後もよろしくお願いします。日本語は勉強不足で、言いたいことはよく表現できませんが、よく読み取っていただき、感動しました。それは私たちの心が通じてあっていることしか思いませんね。ご縁があれば、いつか一緒に桂林の景色の素晴らしい所を歩き回りましょう。