霊川県霊田郷の西岸村から大墟鎮の熊村までハイキングしました(一)

2012年02月08日中国観光ガイド

二月二十三日、土曜日、空はしとしと小雨が降っていました。朝8:40、私たち老若男女一行46人は甲天下広場の「南城百貨」デパートの前で観光バスに乗り、スタートしました。9:20電子科技大学に着き、みんながバスを降りて、西岸村から熊村までのハイキングを始まりました。今回のコースは西岸村、東岸村、上五馬村、下五馬村を歩き、それから五馬嶺古道を登り、大墟鎮の南積村を通って、最後は大墟鎮の熊村に着き、そこからバスに乗って、桂林へ帰ります。
西岸村と東岸村は桂林市霊川県霊田郷に属し、桂林の北部の郊外にあり、千年以上の歴史がある古い村です。歴史上、西岸村は人材輩出の村でした。「霊川県誌」に寄りますと南宋の1133年から1275年までの142年間、西岸村から5人の進士も出たそうです。村の近くに花江と言う川が流れています。川の西は西岸村有り、東は東岸村が有ります。村の中に昔ままの土塀の家がたくさん残っています。村の建築は立地が合理的で、西高東低の勢いに従って建てられ、雨が降ると、雨水が家の前の排水路に注ぎ、花江へ流れていきます。まだ開発されていない原因でしょうか、村人は素朴で、私たちに出会ったらよく挨拶してくれました。千年以来、西岸村と東岸村の村人が先人と同じような農耕生活を暮らしてきました。近年、ここの近くには電子科技大学の新しいスクールゾーンが建設されたので、交通が便利になったし、村人の生活もだんだんよくなり、古い家を壊して、新しい家を作る村人がいました。
桂林西岸村と東岸村
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

46人のメンバーの中で、一番年上の人は60歳以上、一番年下の人は6歳しかなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


約10分歩くと、古めかしい西岸村が見えてきました。
約10分歩くと、古めかしい西岸村が見えてきました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       
裏庭にある菜園

裏庭にある菜園

 

 

 

 

 

 

 

 






この門から村に入ります。門の上の部分はどうして小さい穴が 空いているのでしょうね。風の力を減らすためでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        
 この家の門の上に屋根が二重ありますね。なぜでしょうね。
なぜでしょうね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


獅子の背中で柱を担ぐのが初めて見たのでしょう。
なぜでしょうね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      
 ここは昔から残ってきた村の門です。
ここは昔から残ってきた村の門です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門の左上方に こんな石彫があります。左に柱に取り巻いた一匹の龍がいて、右に女の人が一人いて、どんな意味が入っているのでしょうか。
こんな石彫があります.桂林

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
村の中に見知らぬ人が来て、犬が警戒心を持って、見張っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
西岸村が終わって、花江の石橋を渡って、東岸村へ向かいました。石橋は全部長さ2メートル以上の細長い石畳で作られています。花江の川は春になると、両岸の木が新芽が芽生えると更に綺麗になるでしょう。
西岸村が終わって.桂林観光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


屋根が反り返って、変わっていますね。
屋根が反り返って.桂林観光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      
 この家は今ぼろぼろになっていますが、窓の所を見ると昔の立派さが想像できます。 

訪問者(1095)

コメント(4)

作者:( 「ふれあい中国」)

お客様からのコメント

1桂林浪漫2012/02/11 17:25返信

感動だね! 湘広ルート(古街道)、湖南省から広西省へ入るためには険しい山脈を越えねばならない。今は、高速道路、鉄道が開通し、桂林から全州へ、山越して永州、衡陽と過ぎ、長沙へ到着。1950年以前は、嶺南地方に入るには、陸さんが紹介されているこの古道を通らなければ、桂林には入れなかったようですね。険しい峡谷沿いの道を延々と荷馬車を引いて商人が往来していたのでしょうね。その苦労が偲ばれます。日本人が書いた戦記書籍(佐々木春隆著)によると、このルートのことが克明に描かれています。何度も読み返していまして、一つ山越えするとまた、開けた村里、又一つと山越えすると次の山里、この山懐に点在する村々が異国に来たことをいやがうえにも思い知らされたと記しています。私も、是非、暇をみて1週間程度の旅程で訪ねてみたくなる古村(古鎮)です。安徽省の黄山、「宏村」のように、世界の観光客がきてくれるような観光地に整備、保存を願いたいものです。

  • 2012/02/12 12:49

    先生、感動していただき、ありがとうございます。おかげ様で自信を持つようになりました。ハイキングの時、道が険しくて、滑って、ときどき転んだ人がいました。荷馬車を引いて長距離を歩く商人たちの辛さが想像できます。思わず強い意志を持つ昔の人に敬服してしまいました。甘すぎる教育を受けて育ててきた現代の一人っ子はそんな苦労はとてもできないと思います。たぶん日本も同じぐらいでしょう。いかがですか、先生、チャンスがあれば、ご一緒に桂林の古村、古鎮のハイキングでもしましょうか。その後、先生のブログでも読むのが楽しみですね

2野良猫2012/02/10 22:26返信

 歴史を経た集落群、貴重な文化遺産ですね。陸さんがおっしゃる通り、壊して新しく建て替えるのはもったいないです。住民には古民家の価値が理解されていないのだと思います。壊してしまえば、もう二度と復元することができないです。市政府など公の力で保存を進めるべきです。将来、桂林の観光資源としても役立つと思います。

  • riku2012/02/11 02:15

    今井さん、こんにちは。歴史の価値がある家が壊されて、確かに惜しい事ですが、仕方はありませんね。政府は何もしてくれないし、農家の人がずっとそのまま古い家に住んでいただく訳もいけませんね。悲しい事です。

コメントを書く

コメント&質問