霊川県霊田郷の西岸村から大墟鎮の熊村までハイキングしました(三)
2012年02月13日中国観光ガイド
こんな所で食事しました。
この古井はまだ使われています。
これは洗濯するための石たらいでしょう。
この家は村役所です。掲示板の上に乗った内容によって村の名前が分りました。
三十年ぐらい前の産児制限のスローガンはまだ残っています。(一人目はリング、二人目は中絶と書いてあります。)
こんな辺鄙な所までよくエイズ予防の宣伝をするのにびっくりしました。
文化大革命のスローガンと毛沢東の語録はまだ壁に残っています。
稲水田に牛が放し飼いしていました。
村の中にある狭い路地。
村の人は井水を使います。
門の横の壁に魚の尾を貼っているのは何かの縁起でもあるのでしょうか。
さっきとは全然違って、ここの辺家はみんな新しい煉瓦造りの家です。
ここの村の人は素朴で、お客好きで、私たちを家まで誘って、油茶を招待してくれました。
面白いゲームをしていました。
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コメント(1)
作者:( 「ふれあい中国」)
桂林市内から何時間で、この古鎮につくのでしょうか?片道2時間以内でしたら、日帰り旅行できますね。牧歌的ところがあるようで、稲刈りを終えた田圃に生えた青草を牛(水牛)が食(は)み、老木の近くに井戸がある風景、タイムスリップした感じを受けます。日本も1960年以前はこのような田舎がありました。しかしながら高度成長と、日本列島改造で殆んどコンクリートで覆われた生活居住空間に変わりました。参加された皆さんの、足元を見ると、ハイキングシューズを履かれていて、草鞋から布靴へ、そして合成皮へとなかなか立派です。文革の頃の写真みるとこのような靴を履いた人は少なかったのでは。天秤棒で水汲みバケツを前後に担ぐ写真、なかなかいい風情です。僕は小学5,6年までは担ぎました。中学になると水道(自来水)が家々に敷設せられ生活が一変しました。水汲みがなくなり、当然、水瓶も必要なくなり、大きな水瓶が畑野の隅に転がっていました。その中に入り、「かくれんぼ」をして遊んだことが思い出されます。土壁に、文革のスローガン、一人っ子政策、エイズ予防宣伝、時の施策が落写されて老三届時代の親爺には、当時の狂気沙汰が彷彿としてきます。30歳以下の中国の方が、このような「政策スローガン」を見てどのように感じられるのでしょうか?。あと、10年もしたら、もう土壁の家もなくなり現代風な家並に変わるのでしょうか?保存できるものは保存し、長く民族の文化・誇りとして残していただきたいね。