蘭州市の見物ー中国のシルクロードの旅(六)
2012年09月24日中国観光ガイド
「李広墓」の見物が終わって、蘭州に向かいました。天水から蘭州まで約330キロの道のりがあります。蘭州では甘粛省博物館、白塔山公園と五泉山公園の三ヶ所を見物する予定があり、時間にはちょっときつかったです。。
秦嶺山脈を乗り越えると、周りの景色は急に変わってきました。山の上の植生は少なくなりました。禿げた山の上に放し飼いの山羊、牛などがいました。西部の乾燥した様子は初めて見ました。10:50頃、高速道路を走る途中、乗っているバスがは急にパンクしました。幸いスピードはそれほど早くなかったし、ドライバーは経験のあるプロだし、無事でした。ドライバーが30分かかって修理を済ませました。その時間を利用して、周りの田園風景の写真を撮りました。お昼は高速道路を出て、武山という町でしました。定西を通った時、干ばつの様子は更に酷く見えました。渭水がここを通っていないので、農業の灌漑はほとんど天に任せる状態だそうです。車窓から見えると旱魃に強いジャガイモがいっぱい植えられていました。ジャガイモを利用して生産した澱粉はほとんど韓国に輸出するそうです。昔から中国の西部では水が欠ける状況でした。水が少ないので、人間と家畜がの飲用水は問題になりました。風呂は普通の人にとって贅沢なことです。それについて西部の人が一生の中に風呂には三回(生まれた時、結婚した時と死んだ時)しか入らないという噂があります。現在には水のかける状況はだいぶ改善しましたが、それでもまだまだ不便です。一つの家庭はひと月に3立方センチメートルの水に限っているそうです。その量をオーバーすると水の値段はかなり高くなるそうです(オーバーしないなら1立方メートルは一元で、オーバーしたら20元になります)。それで、そこの高速道路とレストランのトイレは皆水が流れませんでした。室内の花もみんな造花でした。今まで西部の水足りないことはよく聞きましたが、今度はつくづくと体験しました。
15:50に蘭州市区に着きました。甘粛省博物館の門限は16:00です。町は交通渋滞で、博物館に着いた時はすでに16:17でした。諦めようと思った時、幸い係員は入らせてくれました。本当によかったです。甘粛省博物館は「甘粛シルクロード文明」、「甘粛彩陶」、「甘粛古生物化石」の三つの部分からなっています。無料で見物できます。時間のせいで、私たちはポイントの部分の「甘粛シルクロード文明」しか見物できませんでした。そのホールにはシルクロードを中心にして、青銅器の時代から元代までの甘粛省の各時代の粋が展示されていました。それを見て、甘粛省の輝かしい古代の歴史と文化を理解しました。
博物館の見物が終わった後、白塔山公園に移動しました。白塔山は蘭州市の北にあります。山の頂に「白塔寺」があることでその名前があった訳です。「白塔寺」は元代に蘭州で亡くなったチベットから来た一人のラマ僧を記念するために建てられれました。白塔は八角七層で、高さは17メートルあります。現在の白塔は明代(1450~1456)に建てられたのです。清の康煕年間に又立て直されました。白塔山の頂上を登って、蘭州市を見渡すことができます。蘭州市は黄河に沿って建てられた細長い形をする都市で、一番幅広いところは6キロで、一番狭いところは1キロしかありません。
白塔山公園から出て、五泉山公園へ急ぎました。伝説によると漢武帝の時(紀元前20年)、霍去病が匈奴人と戦うために、軍を率いてここに来ました。水がなくて困ったところ、霍去病が無意識に馬の鞭で土を叩くと、一カ所泉を発見したそうです。その後、相次いで「甘露」、「掬月」、「摸子」、「恵」、「蒙」の五つの泉を見つかったので、ここを「五泉山」と名づけました。五泉山公園に付いたとき、すでに18:50になり、特に門限をオーバーしてしまいました。一生懸命に係員を頼んでも結局は入らせてくれませんでした。已む得ず公園の玄関の写真を撮って帰りました。五泉山の見物ができなくて、残念でしたが、五泉山を見物したい気持ちはかえって強くなりました。それは日本の「逃した魚は大きい」という諺のいうとおりでしょう。将来チャンスがあったらまた蘭州に行きたいです。たとえ五泉山のためにも。
西部で初めて漢民族の人と違った顔がした人に会いました。昔ここで生活した遊牧民族の胡人の後裔かもしれません。
白塔山の頂上を登って、蘭州市を見渡すことができます。蘭州市は黄河に沿って建てられた細長い形をする都市で、一番幅広いところは6キロで、一番狭いところは1キロしかありません。
三、初めて玉ねぎの花を見ました。
1969年に甘粛省の威武の雷台と言うところでダムを作るときに出土した東漢時代の「銅奔馬」です。「銅奔馬」は「馬踏飛燕」とも言い、中国古代の彫刻の傑作です。現在は観光のマークになっています。
三、初めて玉ねぎの花を見ました。
1969年に甘粛省の威武の雷台と言うところでダムを作るときに出土した東漢時代の「銅奔馬」です。「銅奔馬」は「馬踏飛燕」とも言い、中国古代の彫刻の傑作です。現在は観光のマークになっています。
「酒泉」で出土した魏晋時代の「画磚」、(煉瓦の上に書かれた絵)です。
ちょっと外国人っぽい顔がしています。元は黄河大橋といいますが、1942年に孫中山を記念するために中山橋と名前を変えられました。1909年にアメリカ人がデザインして、ドイツ人が作った黄河第一の橋と言われています。
こんなに黄河を見るのは初めてでした。
こんなに黄河を見るのは初めてでした。
西部で初めて漢民族の人と違った顔がした人に会いました。昔ここで生活した遊牧民族の胡人の後裔かもしれません。
訪問者(1110)
コメント(0)
作者:( 「ふれあい中国」)
前の文:桂林では木犀の花が咲きました。