2200年前の水利技術で桂林の歴史を輝かせた霊渠
2012年08月29日中国文化
霊渠は巧みに、上手に造った水道(クリーク)という意味から名付けられ、興安運河とも呼ばれています。桂林から北に66キロ離れた興安県にあり、桂林から1時間半で定期バスで気軽に行くことができます。秦の始皇帝が中国統一に向け、嶺南(今の華南地方)地区に兵力を輸送するために史禄という人に頼み、運河を開削するよう命じました。そこで紀元前218年から214年にかけて史禄をはじめとした人々が4年掛かりで計り知れない苦労と、前代未聞の知恵により予定通り見事に工事を完成させました。霊渠は科学性と合理性を重んじ、巧みに設計したものとして、中国でよく伝えられています。当時、霊渠は秦の時代の三大水利工事の一つに数えられた上、中国古代の指折りの水利工事でもあり、世界でも最も古い運河と言っても過言ではないです。霊渠の開通により秦の始皇帝が目指した国の統一と中原と嶺南との文化交流は実現できた上、嶺南地区の文明開化に大きな役割を果たしました。地理的にも揚子江水系と、珠江水系とこの水道により結ばれることになりました。このため、霊渠は中国の国級の重要文化財に指定されています。2200年余り経った現在でも水運と灌漑にも役に立つものであり、大桂林の観光コースとしても更に注目されるようになりました。
霊渠は主に南北に開削した二本の運河(クリーク)に分かれており、他の施設に‘犂の口’、大天秤、小天秤、水門、秦堤などを挙げることが出来ます。南北に分かれた二本の運河(クリーク)は霊渠のメインとして開削され合わせて34KMも及んでいます。
‘犂の口’は流れを分流させる役割を果たすばかりではなく、洪水から大、小天秤を守る事もできます。周りが長方形の石に積み重ねられ、その先が農機具の犂の刃のように鋭いから、‘犂の口’と呼ばれています。
大天秤と小天秤は水の水量と川の水位を調節する施設であり、‘犂の口’の後部にくっ付き、共に‘人’字型の構造に造っており、両側の運河(クリーク)と繋がっています。大、小天秤により、湘江上流の海洋河から来る水の三割を南の離江に、七割を北の湘江に流れるようにします。すべて長方形の石で切られた大、小天秤は内堤と外堤からなり、内堤が高く、外堤が低い構造になっています。実地調査によりますと、大、小天秤の基礎を構成したのは水に強い松の木の材木であり、その上に長方形の石でぎっしり敷き詰めていました。これらの石をしっかり固定させるために、石の上に削った溝に溶かした銑鉄を補填し、冷却するとお互いに頑丈な鉄の網になったという技術を導入しました。長さ344M ある大天秤は北側に、130Mある小天秤は南側にそれぞれ配置されたもので、平日、上流からの川の水量をせき止め、両側に接続する運河(クリーク)に流れるような仕組みなので、いつでも船の運航ができるような水位を確保できるわけです。また、豊水期になると、余る水が大、小天秤を超えて湘江の古い川底に流れていくから、運河(クリーク)での安全な運行も見事に保障出来ることにつながります。
陡門(水門)は長さ34kmに及ぶ南北運河(クリーク)に設置する水位を揚げ、船を通航させる施設です。一般的に水位の低い、また流れの早い所で造られていました。「水門」により落差があるにもかかわらず船がスムーズに通れます。歴史上最も多い時、36か所もあったそうです。霊渠の水門は世界の「水門の祖」と呼ばれています。
泄水天秤は大体大、小天秤と同じ役割を果たし、主に洪水が来る時に余る水を湘江の古い川底に排泄させるための施設であり、洪水から堤防を守ることができます。
霊渠の観光は年間いつでもできるし、桂林から日帰りもできるから、ノスタルジーのコースとしておすすめいしたいです。霊渠の水道施設をテーマにして整備された公園はすべて平地で階段がないので、観光と散策に最適ですよ。特に南渠(南のクリーク)の遊覧船に乗ると女性のガイドさんが取って置きの古筝の名曲を生で演奏してくれますから、まるで2200年前の歴史の雰囲気を再現させ多様な錯覚であり、楽しかったです。
これは霊渠公園の入り口であり、ここから入園すると大、小天秤まで700Mほど歩くと行けます。ここに来ると2200年前、大帝国と言われた秦の時代の息吹きが少し感じられました。
公園に入り、左側にある模型室の壁に「秦の時代の三大水利施設の一つである霊渠」についての説明文があります。(ほかの二大水利施設として四川省の都江堰と陝西省の鄭国渠がありました)
これが霊渠の模型で、右側(手前)のほうが南の漓江につながる南渠です。橋が多く架かっています。真ん中のほうが古い湘江の川底で、一番左のほうが北渠で湘江につながっています。
静かに流れている南渠の水がかつて秦の始皇帝の兵力の輸送に役に立ったのですが、今観光客の訪れを待っている使命に変わりました。
四賢祠は霊渠の開削に務めた功労者である秦の史録と、過去歴代にわたる霊渠の修繕と増築に貢献したと伝えられた漢代の伏波将軍である馬援、唐代の桂管観察史の李渤、同じ唐代の防御史の魚孟威を祭る祠でした。最初、元代の仏教のお寺として機能され、その後、祠に改築されました。
四賢祠の入口の前には、‘天下の奇観’と呼ばれる石碑が千年の大木に飲み込まれそうな観光スポットはあります。
ここは霊渠の小天秤と呼ばれ、長さ130mあり、三割の海洋河の水を堰き止めて南の漓江に流れるようにするための施設です。一見すれば何の変哲もないようですが、実地調査によれば、下敷きとしてまず水に強い松の木の材木が使われ、その上に頑丈な石でぎっしり敷き詰めてあります。そして石と石の間に溶かした銑鉄で結ばれているということです。2200年の前にしては立派な技術だと言えます。この技術に引かれた観光客が裸足で古い小天秤を踏み、体感していました。
ここが「犂の口」と呼ばれ、大天秤と小天秤との連結部にあり、上流の海洋河からの水をそれぞれ三割と七割にかき分けることができるし、強い洪水の衝撃から大、小天秤を守ることもできます。
むこうの白い波が立っているのが大天秤であり、長さ334Mで七割の海洋河の水を堰き止めて湘江に流れるようにしています。
「犂の口」の先端に建てた「湘離分派」の石碑であり、ここで正に湘江と漓江が「犂の口」に掻き分けられ、南北に分かれて行きます。逆に言えばここで揚子江水系と珠江水系とが結ばれたわけです。
「犂の口」に渡っていく渡し船であり、船代が入場料の中に入っているから無料です。
これが漓江につながる南渠下りを遊覧する観光船であり、船頭さんが漕いでくれますから、約20分かかります。
南渠の遊覧船の中で霊渠公園のガイドさんが上手に中國の伝統的楽器の古筝を演奏してくれました。彼女の曲を聴くと秦の始皇帝の時代にタイムスリップしたような気がしました。
緑の木々に覆われている南渠の船乗りは気持ちがよかったです。霊渠の旅にいらっしゃるならぜひご体験いただきたいものです。
ここが洪水を流す泄水天秤であり、大体大、小天秤と同じ役割を果たしています。記載によるとここでの工事が一番難しかったということです。
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コメント(2)
作者:( 「ふれあい中国」)
臥龍先生から心のあるコメントをいただきまして、ありがとうがざいます。確かに先生のご指摘のように霊渠が2200年前の水利施設にもかかわらず、まだ昔ままの使命を果たすことができるということは高く評価されるべきことであり、私たち現代人にいろいろと考えさせられる問題です。私たちの祖先が立派な歴史や文明を造り、よき見本を残してくれました。要するに「歴史を鏡に未来に向かおう」のことであり、霊渠を造った祖先たちの精神を現代社会に伝承させ、生かせればなんと幸いなことでしょう。物質的に豊かな国に恵まれた国民たちはこの「霊渠精神」を伝承し、未来に向かわなければならない時が来たと私もつくづく痛感させられました。
董さん、「霊渠」を取り上げてくださって、ありがとうございます。風光明媚の写真を見て、再び霊渠の見物ができました。興安の霊渠は桂林から日帰りのできる小旅行で、二十年ぐらい前に教え子たちと一緒に見物したことがあります。二千年前の古人が建てた「大小天秤」の工事に感動しました。最も感心させたのは霊渠は二千年経ってもまだ農業の灌漑に役に立っていることです。今の竣工して一年も立たないうちに潰れた橋と道路と比べてどれほと質がいいかと感慨深かったです。なぜ昔中国は世界で強よかったが、近代は弱くなったのかなんとか分かったような気がしました。