桂林の古村、古道、古寺に紅葉(二)
2014年01月03日中国観光ガイド
急いで上まで上がって見ると残念ながら、生い茂った荊の中に廃墟しか見られませんでした。ぽつんと立っている石門以外、瑞雲庵は完全に崩壊してしまいました。私たちは地面に散らかした壊れた石碑と煉瓦の中で整った石碑を一つ見つけました。上に彫った字をよく読むと、乾隆39年(1774年)に小水村関帝会のメンバーが瑞雲庵を修繕することに寄付した内容がわかりました。つまり、瑞雲庵は少なくても300年の歴史があったことが判断できました。そのほか、「重修烏茅嶺道光二十八年戊申歳十二月」と彫った石碑も発見しました。
現存するベースと壁を見て、瑞雲庵が昔とても立派なお寺だと想像できました。そして、数百年の間、ここを通った無数の商人の心を慰めたことに違いないです。文化大革命の時、中国人が宗教信仰の自由が奪われ、寺院などは「四旧」として、ほとんど破壊されました。世の中を離れた瑞雲庵も結局その運動の中で災厄が免れずに壊されてしまい、本当に惜しいことでした。
その罰はとうとうきました。信仰がないから、人間は心が空しくなり、エゴイズムと欲張りの人間が増えてきました。享楽のことしか追い求めない犯罪する人も多かったです。瑞雲庵を出るまえ、目立たない隅に線香と供え物が見えました。「こんな所によく線香を立てにくる人がいたなあ」と驚きもし、喜びもしました。
烏茅嶺を下山した時はすでに12:30過ぎたので、私たちは「福水洞」という所で休憩しがてら炊飯しました。鍋、材料、調味料は用意したもので、柴と水は現地で取りました。ちょっと時間がかかりますが、食事を待っている間、余計に食欲がそそられ、みんなで食べる場合は食事の美味しさが倍増したのです。食後のコーヒーが最も素晴らしいものだったと思います。疲れた体を休ませて、熱いコーヒーでも一口すすって、仕事のストレスと生活の悩みなどもすべて忘れてしまいました。野外の炊事は都会ではなかなか体験できない楽しみである同時に何よりの野外生存の良い体験だと思います。
今度のハイキングは初冬の紅葉を観賞しただけでなく、古村と古寺も見物しました。それから仕事のストレスも解消できました。一石三鳥!満足しました。
山にある石は孫悟空が匠の三蔵法師と見合っているのにそっくりでした。
石碑に乾隆39年(1774年)に瑞雲庵を修繕することに寄付した小水村関帝会のメンバーの名前が刻まれています。
頭が龍、体が魚という石彫りは初めて見ました。
小水村の人はみんな「秦」の姓でした。日付は乾隆三十九年と載っていました。
立派な 枢(とぼそ)です。
荒廃した瑞雲庵の一部でした。
地面に壊れた石碑と煉瓦が散らかしていました。
ぽつんと立っている石門
廃墟で誰か線香を立てた人がいました。
石碑には「重修烏茅嶺道光二十八年戊申歳十二月」と彫っていました。
福水洞でお昼の仕度をしていました。
柴は周りで拾い、水は福水洞の泉を汲んできました。
美味そうなコーヒーでした。
牛がすぐ近くで草を食っていて、人間のことには全然拘らなかったです。
現存するベースと壁を見て、瑞雲庵が昔とても立派なお寺だと想像できました。そして、数百年の間、ここを通った無数の商人の心を慰めたことに違いないです。文化大革命の時、中国人が宗教信仰の自由が奪われ、寺院などは「四旧」として、ほとんど破壊されました。世の中を離れた瑞雲庵も結局その運動の中で災厄が免れずに壊されてしまい、本当に惜しいことでした。
その罰はとうとうきました。信仰がないから、人間は心が空しくなり、エゴイズムと欲張りの人間が増えてきました。享楽のことしか追い求めない犯罪する人も多かったです。瑞雲庵を出るまえ、目立たない隅に線香と供え物が見えました。「こんな所によく線香を立てにくる人がいたなあ」と驚きもし、喜びもしました。
烏茅嶺を下山した時はすでに12:30過ぎたので、私たちは「福水洞」という所で休憩しがてら炊飯しました。鍋、材料、調味料は用意したもので、柴と水は現地で取りました。ちょっと時間がかかりますが、食事を待っている間、余計に食欲がそそられ、みんなで食べる場合は食事の美味しさが倍増したのです。食後のコーヒーが最も素晴らしいものだったと思います。疲れた体を休ませて、熱いコーヒーでも一口すすって、仕事のストレスと生活の悩みなどもすべて忘れてしまいました。野外の炊事は都会ではなかなか体験できない楽しみである同時に何よりの野外生存の良い体験だと思います。
今度のハイキングは初冬の紅葉を観賞しただけでなく、古村と古寺も見物しました。それから仕事のストレスも解消できました。一石三鳥!満足しました。
山にある石は孫悟空が匠の三蔵法師と見合っているのにそっくりでした。
石碑に乾隆39年(1774年)に瑞雲庵を修繕することに寄付した小水村関帝会のメンバーの名前が刻まれています。
頭が龍、体が魚という石彫りは初めて見ました。
小水村の人はみんな「秦」の姓でした。日付は乾隆三十九年と載っていました。
立派な 枢(とぼそ)です。
荒廃した瑞雲庵の一部でした。
地面に壊れた石碑と煉瓦が散らかしていました。
ぽつんと立っている石門
廃墟で誰か線香を立てた人がいました。
石碑には「重修烏茅嶺道光二十八年戊申歳十二月」と彫っていました。
福水洞でお昼の仕度をしていました。
柴は周りで拾い、水は福水洞の泉を汲んできました。
美味そうなコーヒーでした。
牛がすぐ近くで草を食っていて、人間のことには全然拘らなかったです。
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コメント(2)
作者:( 「ふれあい中国」)
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新年おめでとうございます。 湘桂古道のハイキングの風景見て、桂林に飛んでいきたくなりました。 ハイキングの途中、食材を持ち込んで焚火、鍋料理、コーヒータイムなど、「癒せ」ますね。僕が参加したら、コック長を演じたでしょう。大昔、楚国から嶺南に至るには、このような狭くて細い道を牛、馬、人力の背中で荷を背負い商人や、中央からの役人(進士人)が家来を引き連れて入国してきたのでしょう。李商隠が桂林に来た時の文章を読むと、入れ墨をした少数民族が多数いて、中央の役人が驚いたと書いています。僕も早いうちに、省境の故鎮を歩き、フークロアー的文化に浸りたいと思います。興坪の小旅館の親爺のホームページ見ますと、日本人の観光客がめっきり減り、死活問題になっていると書かれています。確かに今の時期、日本人の中国訪問(旅行・ビジネス)が極端に少なくなっていることがあると思います。桂林のガイドさんも死活問題ですね。日本の退職老人は大金もちで、行くところがなくて困っていますのに、文化伝来の国の観光できないことまことに残念です。こうゆうときこそ、お互い知恵を絞り交流を進めていきたいものです。今年は桂林は高鉄が走り、国内の観光客がたくさん押し寄せてくることでしょう。ガイドの皆さんの活躍をお祈り申し上げます。
先生、新年おめでとうございます。林さんの仰ったと通りに桂林の観光が今真冬に浸っています。旅行社も商家もみんな肝心な時に当たっています。新人の日本語ガイドがまずいないです。私の知っている日本語ガイドはほとんど失業しました。せっかく身につけた日本語は無になり、惜しいか寂しいかのような気持が混じっています。高鉄が開通することは死にかかる桂林の旅行業に少し望みを齎すでしょ。