イエンブラク(焉不拉克)古墓群

イエンブラク(焉不拉克)古墓群はハミ市の柳樹泉農場であるイエンブラク村に位置し、約2500~3200年前の古墓群が1986年に発掘され、新疆地区で最も重要な鉄器時代初期の遺跡の一つとして全国重要文化財に指定されています。

イエンブラク古墓群の墓葬形制
総面積約8000㎡と広大な古墓群は北西から南東へと走る二つの段丘に分布し、墓室は竪穴土坑墓と竪穴二層台土坑墓に分類され、単人葬と多人葬があり埋葬方式は屈肢葬が大部分を占めますが直肢葬もみられます。また発掘調査を行った結果、墓葬形式は大きく前期、中期、後期に分けられます。前期は中原地方の西周初めから中ごろ、中期は西周終わりから春秋時代にかけて、後期は春秋時代中ごろから終わりに相当すると考えられています。このように長い歴史の記録を一つ一つ刻むがごとく古墓群が展開しています。

イエンブラク古墓群の副葬品
墓室から出土した副葬品には陶器、石器、木器、銅器、金器、骨器、毛織物などがあり、その多くはハミ博物館のイエンブラク古墓展示庁に展示されています。

出土した彩陶は副葬品の中で最も多くみられ、単耳斗、腹耳壺、双耳罐など側面に取っ手をもつ形状が目立ち、紋様は条線紋、斜格子紋、紋波線紋などが多く、その形状と紋様は甘肅中南部の辛店文化や四埧文化に類似しており、両文化との深い関連性が考えられています。

墓室M31、72、75号からは鉄刀、鉄剣、鉄製指輪など合わせて7つの鉄器が出土しており、M31号から発掘された鉄器は紀元前1030年のものであると考えられ、その歴史的価値にも注目されています。

イエンブラク古墓群の考古学的重要性
イエンブラク古墓群から出土した29の頭骨を分析した結果、その内21人は人類学上の分類でモンゴロイド系人種に、8人はコーカソイド人種に属すると考えられています。その分析結果により、コーカソイド人は紀元前3300年に中央アジアから東のハミ方面に移動し始め、南シベリアで生活していたコーカソイド人は紀元前2000年にアルタイ山を越えてハミに入っていたことが明らかになり、同時にモンゴロイド人も河西回廊からゴビ砂漠を超え、ハミに入っていたので、東西から移動してきた二つの人種がハミ盆地で出会ったと考えられています。
さらにイエンブラク古墓群のモンゴロイド系人種は形質的に現代長頭型のチベット人と酷似していることがわかり、チベット、青海でイエンブラク古墓群と類似した遺跡が多数発見されていています。このことからチベット先住民の一部が紀元前1000年~500年、北西から青海、チベット方面へ進入したといわれています。
このように文字による記載が存在しないはるか昔の新疆周辺地域の人種移動と融合は多くの考古学者に探求され、イエンブラク古墓群は青銅器時代から鉄器時代にかけてのこの地の人種移動を研究するための重要な資料にもなっているのです。