桂林市の唯一の樹林は消えつつあります。
2012年04月01日中国観光ガイド
建物が邪魔で、林は見えなくなりました。
屋上ガーデンの玉蘭の花です。
我が家の屋上ガーデンの四季玉蘭で清らかないい香りがします。
赤と白の木海棠です。
桂林の「甲天下」広場の国際展示センターで撮った常盤満作の花です。
先週撮った我が家の屋上ガーデンの桃の花でした。今はもう散ってしまいました。
我が家の山茶花です。
我が家の花蘇芳です
黄梅(迎春花)です。
桂林では一分の木は春に落葉します。
落葉が夜には掃除されていないうち散歩しました。落葉が踏まれて、かさかさと音を立てて、とてもいい気持ちでした。
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コメント(3)
作者:( 「ふれあい中国」)
陸さん 名訳ありがとう。「無題」となずけた理由がそれなりにあるでしょうね。 真に李商隠は青春の倒錯した世界を歌い上げることに専念する。「晩に向んとして意適わず、車を駆りて古原に登る。夕陽無限に好し、只だ是れ黄昏に近し」(楽遊原)。政治の世界で多くの苦汁を舐め、政敵のボス(王茂元)の娘を娶り、令狐楚の幕に随い巡官して政界を生きていかざるを得ない彼の屈折した心情を、暗示の手法により、規定されないイメージをさまざまに揺らめかせる。王安石が杜甫の後継者と批評するにあたるのかもしれませんね。反面、同じ晩唐の詩人、杜牧は「「今日鬢絲禅榻の畔、茶煙軽く颺(あが)る落花の風、」、あるいは、「十年一たび覚む揚州の夢、贏(あま)し得たり青楼薄倖の名」と、老年の感情を、過去への通億として謳うのとはそもそも違うのである。陸さんが、折々の素敵な写真を挙げてくれる度に、中国の詩情が私の全身に沸き立ってきます。ビジュアルな光景だけでなく、心躍る躍動はなんなのでしょうか?老いたる吾に「感動という残り火」があるのかと!中国は雄大無比のシャングリラ。
下手なブログをいつも読んでいただき、ありがとうございます。去年から今まで、ずっと伴っていただいたおかげで、寂しくありません。そして、ブログを書く道に絶えず前に歩む自信がありました。誠にありがとうございました。苦難と憂いで詩人が生まれるという言い方があります。杜甫、杜牧、李商隠はみんなそうです。同じことで、悲劇は喜劇より更に人に深いイメージを与え、もっと長く人の世に伝えられるのでしょう。先生が中国とご縁があるから、桂林の写真を見るたびに心の底に潜んでいる中国の詩情が甦り、躍動し、つい燃え始まるんです。もしかしたら、先生の前世は中国漢詩の詩人かもしれません。
独秀峰、伏波山を眺める「区干休所」の高台も、マンション、集合住宅の開発が進んでいるのですか。このまま安静な住宅地で残してほしいものですね。輔星路と施家路の一角は、かって留学していて滞在ビザの延長を申請に出入境管理局まで歩いたところです。小さな花屋があったり、瀟洒な西洋料理屋がところどころにあり、喉を潤しにお店に入ると、私と同じ年頃の紳士が泰然としてお茶を飲んでいる光景に出くわしました。多分、退職老人で、私が日本から師範大学に学びに来ていることはわからなかったでしょう。地元の新聞を読んだり、魏晋六朝時代の「竹林の七賢」の書籍を読みふけっていたのでは誰も外国人とは思わないかったのでしょう。会話を楽しみたかったのですが、望城崗の散策では、「老三届」世代の人とはお話できませんでした。今となっては、非常に残念に思います。 日本の「老三届」世代の人も、学園闘争に明け暮れ、大学は活動家に占拠され真摯に学ぶ環境はありませんでした。そんな、中日同世代の方々と「油茶」を啜りながら日が暮れるまで語り合いたいものです。李商隠の詩集に「無題」と称する詩はいくつかありますが、その中に今頃の季節を謳った詩がありますので、ご紹介いたします。「何處哀筝隋急管、櫻花永巷垂楊岸、東家老女嫁不售、白日當天三月半、溧陽公主年十四、清明暖後同牆看、帰來展轉到五更、梁間燕子聞長嘆」、何処からきこえてくるのだろう、高く悲しい琴の音、それは桜桃の花咲く路地の裏、そして、そこはまた、枝垂れ柳が新緑に輝く河の岸辺。家柄のいい邸宅では、垣根越しに、春景色を夫婦で眺めています。その幸福そうな様子を見たために、その夜は興奮して、夜明けの鐘の音が鳴るまで、寝返りを打ち続け眠れませぬ。もう春の盛りは過ぎました。櫻桃の花もやがて散りましょう、そんな「嘆き」を梁に巣食う燕が聞いています。訳がまずいので、李商隠の「無題詩」理解できないかもしれません。陸さんの訳を是非みたいものです。李商隠は、36歳の年に、給仕中「鄭亜」が、桂州刺史御史中丞、桂管防御観察等使となるに随いて桂林に赴き掌書記となっています。そんな若かった李商隠も「王城」を出て、漓江を渡り、春の1日、望城崗に遊ぶ日があったことでしょう。どんな高貴な人も、春が来れば美しい花を愛で、また春が去っていくのを嘆くのでしょう。真に人生に憂いはつきものです。今ある時を、楽しみましょう。