桂林市灌陽県の「永富村」の農家訪問
2012年08月11日桂林の生活
三里店の大円盤に集合してから出発しました。
懐かしい牛のリヤカーでした。
昔水田だったところに住宅を立てたかな。
水田に里芋とくわいを栽培していました。
一期目の水稲は収穫が終わりました。
唐さんのご主人さんの王さんは家から迎えて来てくださいました。
庭の中にナツメ、梨、桃の木が植えられていました。
手当たりしだいに葡萄を取って食べられました。
日常の生活の中でほとんど水がめは見えなくなりました。子供の頃家の水がめの水はほとんど私が担ったのです。
どうも 柴で炊いたご飯は美味しく思います。
中国語では「手扶拖拉機」と言います。
食べ方はちょっと粗末ですが、自然に回復したような気がしました。
コーラの缶で果物を取るのを初めて見ました。賢いですね。
皮を剥かないまま梨を食べてしまいました。
三十年ぶりに重労働して、まだ行けそうでした。
唐さんの新しくて立派な家です。
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コメント(3)
作者:( 「ふれあい中国」)
今になって、昔の苦労はすでに楽しい思い出になりました_な。素晴らしい文章を書きましたね。天秤棒の思い出のないぼくはなんだか物足りなかった感じです。
どこかで「苦難は人生の宝物」という言葉を聞いた覚えがあります。韓さんは都会生まれで、当然天秤棒で物を担ぐ体験がなかったわけです。でも資本家生まれの韓さんが文革で受けた苦労は労働者出身の私がどうしてもわからないのです。
暑い中、桂林の山懐「灌陽県」への小旅行楽しかったでしょうね。同じ職場の唐さんの実家だとか。桂林から150km~200kmは離れているのでしょうか。大嶺山を越えれば湖南省。桂林天元旅行社の12名の方が、黒塗りの高級車で、田舎に入りこんでいる写真見ると、日本で1960年代のことが思い出されます。耕運機はジィゼル発動機を動力源に積み、長い柄の部分の手元のクラッチで方向転換を切り、大きく回るときは、左右どちらかの手を目いっぱい伸ばして操作、あまりスピード出してると慣性の法則で転倒いたします。危険極まりない「鉄馬」。これがまだ現代中国のいたるところで活躍している、また、手漕ぎ脱穀機(足踏み)、これも稲穂を乾燥させた後、両手で稲藁をつかみ穂先の実を脱穀機の回転部(ドラム)に三角に溶接された丸棒突起部に当てて稲穂の実を落とすいたって原始的脱穀機、足踏みしながら「グーン、グーン」と加速がついたら、両手でつかんだ稲を上下に回転させながら脱穀する、これまたかって日本の農村部で見られた光景です。土間で食事する習慣は、農家の人は忙しいから靴を脱いで座敷に上がり食事する煩わしさを避けるために、地下足袋、雨靴のままで、すきっ腹を満たすために土間で食事する習慣が根付いたのでしょうね。土間の「裸電球」、「土間の壁にかけられた鍋」、「簡易竈」(コークスか練炭)、そこに、ちよこんと電磁調理器が置かれ、その周りで鍋料理をつつく、一家団欒の至福の一時を過ごす農家の姿が垣間見れますね。また、燃料費を浮かすための「焚物小屋」、山から小枝、倒木を集めて小屋にプールして、お風呂の熱源、煮炊きの熱源にすべく小屋に積んで置く、此れもまた、農家の知恵です。ガス、電気量を節約するうえでもひつようですね。家の周りに、主食は言うまでもなく、副食物の「李」、「梨」、「トウモロコシ」、「クワイ」、「サトイモ」など、お金を出してまで買う必要のない生活食材を得るべく、植えてあるのですね。収穫された「収穫竹籠」を担う、陸さんの姿バランスがよくて、思わずにっこりせずにはおられません。この作業は素人にはできません。利き手で天秤棒を握り、立ち上がるとき、足を踏み出す時、均衡を保たたないと、前後に吊した籠がひっくり返ります。「よぃしょ」と、自分に言い聞かせるように、担ぎあげねばなりません。あとは、天秤棒をしならせて、その反動を利用して荷うので