東西巷

  「千年の桂林城、隆盛が東西巷にあり」と言う説があります。


   約五百年前、明の時代に靖江王と言う藩主は桂林で築城していました。桂林の人々はその城を靖江王府に呼ばれて、城の東西南北にそれぞれ四つの玄関を設置しています。南玄関を正陽門と言って、その門を出ると東の方面と西の方面にはそれぞれ二本の古い通りがあって、東巷と西巷(東西巷)と言われます。

靖江王府の城壁

   明の時代から沢山の商人たちはその町に集って、お店がずらりと並んでいてとても賑やかな町となっていました。毎日その町へ参るお客さんも多くて芋を洗うように混んでいて、元気な競り売りの声も響きます。また、桂林では富豪、貴族などのお金持ちたちはこの街で豪邸を建てて、今でも残っているものがあります。東西巷「桂林で歴史的に唯一残された町の標本」と言われています。

   

   しかし、歳月を経るに従って、建物と街路と街全体がボロボロとなっていて、ここまで来るお客さんがだんだん少なくなって、寂しい町となってしまいました。


   2013年、桂林市人民政府は5.5億元投入して、総面積292万平方メートルの建物と街路を修復する工事を開始し、2016年4月に修復工事の完工式が行いました。伝統的な各老舗が相次いで営業を回復して、観光客を含めて毎日この街へ来る人々が後を絶ちません。


   東巷町の突きあたりには、昔中国江南地区の三大名楼(有名な楼閣のこと)の一つである「逍遥楼」と言う楼閣が建っています。修復のおかげで現代の人々はその楼閣を生で見ることができるようになっています。楼閣を登るとくねくねと流れている漓江の水が緑の帯のように見えて、遠く並んでいる山々もとても美しくて、まるで一枚の素晴らしい水墨画のように見えます。さすがにそれは中国の唐の時代の有名な大詩人韓愈先生が書いたように、「川は緑の帯になして、山は碧玉の簪の如し」と言う眺めです。