伏波山

伏波山は桂林市の北側、漓江の西岸にそびえる岩山です。前漢の武帝は馬援を伏波将軍に任じ、漢の支配に反抗したベトナムの鎮圧を命じました。馬将軍は桂林に滞在し、南方への拠点としました。唐代になると、この山に伏波将軍廟が建てられ、伏波山と呼ばれるようになりました。伏波には「波を鎮める」と言う意味があります。
山の南側麓に回廊と茶室があり、西側麓には山頂に続く326段の石段があります。山腹には癸水亭と見晴台があり、十数分登ると頂上へ着きます。簡単に登れる小さな山に、聴涛閣、半山亭、遠珠洞、珊瑚岩などの観光スポットがあります。また山の麓には環珠洞、試剣石、千仏岩などの名所があります。山頂から桂林の街を一望するために、伏波山に登る人も多いです。
環珠洞

伏波山の麓に還珠洞と呼ばれる、一年中風が通り抜ける鐘乳洞があります。昔の言い伝えでは、子供が鐘乳洞にあった竜王の珠を盗みました。家に帰ってお母さんに見せたところ、褒められるどころか厳しくお母さんに叱られました。子供はお母さんに言われて、珠を竜王に返しました。話は中国の儒教思想に基づいたもので、環珠洞の由来となっています。
奥の鐘乳洞の壁には、唐代の釈迦や菩薩などの彫刻があります。別の壁には、中国道教の源である不老長寿について、二人の道士が話している姿があります。その両側には「日日青菜の羹、夜夜黄梁の夢、若し衛生術を問うれば、只これを珍重すべし」と、長生きの秘訣が対句として刻まれています。環珠洞には、仏教の「慈しみの心」や儒教の「誠実さ」、そして道教の「不老長寿」など、それぞれの教えが同居しています。
試剣石

環珠洞の奥に行くと、地面から一寸ほどのところで断ち切られたような、不思議な鐘乳石があります。言い伝えでは、馬援将軍が無実の罪を着せられた時、腹いせに剣で薙ぎ払ったとされています。また、この石が地面と繋がった時に、桂林で状元(科挙試験で首席の人)が現れると言われているので、状元石とも呼ばれています。
遠珠洞・千仏岩
遠珠洞と千仏岩には、唐宋代につくられた多くの摩崖仏と石刻があります。仏像が約200、石刻が約100あまりもあります。中でも、宋代に草書の聖人と称えられた、書道家であり著名な画家でもあるベイフの自画像と、詩人の範成大が書いた鹿鳴燕詩が有名です。
大鉄鐘・千人鍋

伏波山公園に入ると先ず目に入るのが、重さ2700キログラムの大鉄鐘と、重さ1トンあまりの千人鍋です。いずれも定粤寺の遺物で、康煕六年(西暦1967年)清朝定南王の娘孔四贞と娘婿孙延龄が、畳彩山に寺を再建した時に寄進したものです。
鹿鳴宴
かつて伏波山の鍾乳洞で鹿鳴宴が催されました。鹿鳴宴の出典は、詩経の中にある「呦呦鹿鳴、食野之苹(悠々と鹿が鳴き、野の若草を食べる)」に基づいています。日本の明治時代に造られた鹿鳴館の出典と同じです。
桂林史によると、宋代に桂林の最高行政長官だった範成大が、伏波山の環珠洞で「鹿鳴宴」を開いた記録が残っています。彼は人材育成に心血を注ぎ、秀才になった人を励ますために宴を開いたと言われています。
伏波晩棹
漓江の水面に夕日が映る頃、小船が棹を差し往く姿を表現したものです。まるで一幅の水墨画を観るような、桂林独特の風情がそこにあります。