我が家の藤の花が咲きました。
2012年04月11日桂林の生活
なぜか訳が分からないですが、藤の花が大好きです。子供のころの貧しい時代にアカシアの花と同じように藤の花を食べたことがあります。甘くて、香りがいい藤の花には深い記憶が残されました。先日、我が家の藤の花が満開しました。薄甘い香りを漂わせて、たくさんの蜜蜂と熊蜂が蜜を採りに飛んできて、飛び回っている蜂で屋上ガーデンがとても賑やかになりました。勤勉で、可愛い蜂に楽園を提供できることを嬉しく思いました。麗らかな微風が吹き通る度に、ぶら下がっている一房一房の花が一斉に揺れ、そして蝶蝶みたいな藤の花はひらひらと地面に舞い落ちて、とうとう一面の薄い紫色の絨毯になりました。そのふわふわした天然絨毯を歩き、とてもいい気持ちでした。間もなく我が家の藤の花が散ると思うと、ちょっと寂しくなりましたが、「優しい雨に打たれて落ちる儚さ故、人は愛するのでしょう」と言う歌手の谷村新司の「花」の歌詞が思い出され、釈然しました。
満開しました。
熊蜂も飛来していました。
雨に打たれて地面に落ちた藤の花を見て、寂しかったです。
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コメント(4)
作者:( 「ふれあい中国」)
陸さん。こんにちは。一瞬、目を疑いました。葡萄棚かとおもいましたよ。艶やかな薄紫の花が、ステンドグラスを通して輝く色合いを感じさせます。藤の花が咲く頃になるといつも、ある歌が思い出されます。僕が15歳の時、流行った歌曲「女学生」です。その歌詞は次のように歌いだされます。『うすむらさきの藤棚のー♪、下で歌ったアベ・マリア、澄(す)んだひとみが美しくー♪♪、なぜか心に残ってる、君はーやさしい、君はやさしい女学生♪♪・・・・・・・』、そう、藤の花は、初恋のころの、淡(あわい)い恋心を象徴しています。セーラー服姿の、女子学生が中学を終え高校へ進学する季節に、気心しれた友と別れ際に「アベ・マリア」を歌うのも趣のあるものです。藤の花房を一枝、手折って胸に挿してあげたくなりますね。日本は3月末が卒業、4月が入学の時、そんな季節に「桜花」、「藤花」を鑑賞できるのも日本ならでしょう!。また、古い日本の王朝人は、こんな漢詩をつくりました。題して「暮春於右尚書管中丞亭同賦閑庭花自落」。大江以言(おおえのゆきとき)の七言律詩。「送春花下一相尋、自落閑庭助酔吟、脆是天為人散地、飄非風意鳥馴林、遊塵紅定蹊初合、行履珠歸跡半深、徒見多年開復落、今年初識有芳心」。ただよう塵のなかに紅の花はひっそりと、散りゆ敷く花の小道がそっとできる、上等の履(くつ)をはいた人々はかえっていき、その足跡の半ばは、深く花に埋まっている。長きこと花が咲いては散っていくのを見るばかりであったが、今年は初めて香しい花に心のあることを知ったのだ。陸さんのいう「雨に打たれて地面に落ちた藤の花を見て、寂しかったです。」日本の漢詩人と共通の情念があふれているようで、真有意思!況や、我もおや!娘さんの書包の上に、さり気なく藤の花を置かれれば、如何?。
藤の花がもう咲きましたか、こちらではもう一段暖かくなる5月になってから咲き始めますね、日本で紫の藤色は高貴な色あいです、桂林の春は過ぎて行くのが早そうですね。
なるほど、純粋な藤の花は中学生の淡い恋心を象徴するのですか。よく似合いますね。先生も藤の花がお好きですか。私はセーラー服の女子学生の姿がすきですね。残念ねがら、中国ではセーラー服の制服はありませんでした。中学校時代の純粋な恋心は昔醜いものとして扼殺されました。
今井さん、こんにちは!桂林では今もう28℃になった暖かい所です。後戻りするようなこともありますが、もう寒波の影響で寒くなることはないと思います。中国では昔藤の紫の色合いは富貴と高貴のシンボルとされました。